小学校の時、くそジジイ教師がいた。
虐待とかそんなだいそれた事件があったわけじゃない。ただ気まぐれで、思わぬ時に怒鳴られたりした。嫌な大人の代表。大人の嫌な面だけで出来ているジジイ。
定年退職後所属した地域の団体で横領をやったという話を親から聞いた。使途不明金があるとか。おおっぴらにはしなかったらしいけれど。
そもそも人間として失格。
そんなヤツが子供に何かを授けられるわけがないわ。
それでも在職時は、一応国語方面の教師だった。
私がまだ小学校在学中の時、そいつが生意気にも詩集を出版した。当然自費出版だろう。父がPTA役員やってたからか、うちにも1冊送られてきた。
しばらくそこらへんにうっちゃってあったそれを「あのクソジジイはどんなもん書きやがったんだ」と思って開いてみたことがある。
「私のカントにヒトデのように張り付いた義父の手を忘れはしない」
最初の1編、そんな感じのフレーズだけ、未だに覚えている。
なんせ小学生なので、カントと言われてもわかるわけがない。それでも子供ながらに何かイケナイものだと察知出来た。それくらい全体的に怪しげなものだった。
文学を騙ってマスかいてるだけじゃねえのかヒヒジジイ。ゲロ吐きそうなくらいきしょいよ。
処分したのか、居間にある書架にその本はない。
母は今でも「ろくでもない詩書いて」と嫌悪の情をあらわにすることがある。
カントという単語とヒヒジジイのその詩集の記憶はリンクされてしまっている。小さい頃にインパクトを受けたせいだろうか。ああ記憶領域の無駄遣い。
記憶は消せないから、せめてヒヒジジイが早く逝ってくれることを祈るのみ。
訃報を聞いてもなんとも思わない自信がある。何か感じたとしても「ああやっと逝ったか。清々した」くらいかな。
(;_) =3 フゥ
本当はアソコの名称に関して書こうと思ってたのに、違う方向へ行ってしまった。
ちなみにカントはドイツ語だっけか(※後日追記:正解は英語)。哲学者のカントさんは困らなかったのでしょうか。
イタリア語ではコーノ。ロシアのある方言ではエビと言ったりするらしい。この手の話は阿刀田高氏のエッセイでよく読んだ。
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